突如写真に興味を持ち始め、どこへ行くにもカメラを携えていた若かりし頃、「これ読んでみなさい」と知人から渡されたのが、この本だった。
原書の刊行は1977年、今から46年も前のこと。
なのに時代遅れと感じるどころか、最初から最後まで、まるで今を語っているようで、時代を超えた名著である。
この本は写真について、だけじゃない。
著者スーザン・ソンタグは写真を通して、芸術を、文化を、アメリカを、現代社会を、世界を、見据え論じる。
対象には決して介入せず、外側から見つめ、考察し、その姿勢は熱心ながら冷めており、気遣いながらも突き放し、世界を俯瞰する彼女の文章は時に、自分のことを語っているようにも感じられる。
あらゆるものを撮影する必要があることの究極の理由は、まさに消費そのものの論理にあるといえる。消費することは燃やし、使い切ることであり、したがって補充される必要を意味する。私たちは映像を作って消費するにつれて、次から次へと映像が必要になってくる。しかし映像はそのために世界中を隈なく探さなければならない宝物ではなく、まさに眼の留まるところどこにでも転がっているものである。ひとたびカメラを手にすると、なにか肉欲に近いものをかきたてられるものがある。ところがおよそ信じられる形の肉欲はすべてそうだが、それは満足させることができない。第一に写真の可能性は無限だからであり、第二にその企図が結局は自分をむさぼることになるからである。写真家たちが現実の枯渇感を癒そうとすることがかえって枯渇に貢献していることになる。私たちの心にのしかかる無常観は、カメラがつかの間の瞬間を「固定」する手段を私たちに与えて以来、いっそう痛切になっている。私たちはいまやかつてない速度で映像を消費しており、カメラは体の薄膜の層を使い切りはしないかとバルザックが訝ったように、映像は現実を消費しているのである。カメラは解毒剤であると同時に疾病、現実を私物化する手段であると同時にそれを時代遅れにする手段である。
残念ながらスーザン・ソンタグは2004年、この世を去ったが、もし生きていたら、いまだ終わりのみえない戦争について、どんな言葉を投げかけていたか。
そしてこちらは、その「写真論」の原書。
始めて近藤耕人訳のこの本を読んでから、長い長い月日が経ち、最近やっと読み始めた。
読み始めてまず感じたのが、英語という言語が持つ、ものごとを言い切る強さ。
たとえば、ソンタグは論考の中で写真家ダイアン・アーバスについてかなりの紙面を費やしており、その中でこんなふうに書いている(現代にはそぐわない表現が含まれているかもしれません)。
写真が再度これほどの観客をニューヨーク近代美術館に集めたのは、17年後の1972年に開かれたダイアン・アーバスの回顧展であった。アーバス展ではすべてひとりで撮り、すべて似通った、つまりそこに写っているだれもが(ある意味では)同じに見える、112枚の写真は、スタイケンの素材の、自信を取り戻させるような暖かみとは正反対の感じをひとに押しつけた。アーバス展の中心となる人たちは人間らしいことをしている、見て楽しい人物とはちがって、いろいろな奇形人間やあいのこの取り合わせの勢揃いで、その大部分は醜く、それに奇怪なのやつましい衣服をまとい、陰気だったりがらんとしている環境にいて、立ち止ってポーズをとったり、素直な打ち解けた眼差しで観客を見つめていることが多い。アーバスの作品は見る人に、彼女が撮影した宿無しやみじめな姿の人びとと同化するようには求めない。人類は「一つ」ではないのだ。
この最後の一文、「人類は『一つ』ではないのだ」は、とても強い言葉だと思うのだが、これが英語になると、さらに強くなる。
Humanity is not "one".
「一つ」ではないのだ と not "one" 。
ここで「一つ」ではなく単に「『一』ではないのだ」と言えないこと、また否定が末尾にくるというだけで、こうも印象がやわらいでしまうのか。。。
英語のように最初に否定がくると、無意識にこれは否定の文章だと印象付けられ、自然と意味に強みが増すように感じられるのだが。
ふだん洋書を読んでいて、日本語と英語の違いを意識することはまずないのだが、今回、慣れ親しんだ日本語訳の後に原書を読みだしたせいか、妙に日本語と英語の違いが気になってしまう。
言語、奥が深い。
近藤耕人さんも訳者あとがきの中で「読みやすいとはいえない彼女の文体」と書いておられるが、翻訳とは文字通り魂を削るような作業だと推測する。
原書を読み始めたことにより、訳者の偉業に改めて感謝すると同時に、もっともっと称賛されるべきだと強く思った。
私も頑張って最後まで読むぞ。
私の場合、読書から本の素晴らしさを改めて実感する時というのは、その本の中に自分の言葉にならないモヤモヤした思いが、寸分の狂いなくズバッと言い表されてるのを見つけた時というのが一つあげられるが、この本はその代表のような本である。
たとえば、写真は芸術かという問いで、「それは私物化のまねごと」ときっぱり言い切るソンタグに魂が震えるほど共感したのを覚えている。
前回の記事の ”Indelicacy”が、My favorite book of 2023 だとすると、この「写真論」は、My top 3 books of all time なり。
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