変幻自在ブックス

At Midnight, I Become a Monster

表現という言葉を失う前に

仕事を早々に切り上げて、むかうは吉祥寺111(スリーワン)。

吉祥寺駅から歩いて5分くらいのところにある、こじんましとしたお店、私は初めて訪れます。

 

むかう理由は、いま存続の危機にある、ル・デルニエ・クリが生み出したアートブックを見るため。

ル・デルニエ・クリはフランス・マルセイユを拠点に活動する、独立系超異端版画工房/デザインスタジオ/マイクロパブリッシャーです。

 

彼らは今、窮地に立たされています。

その騒動について私は、都築響一さん編集長のROADSIDERS' weeklyというメールマガジンで知りました。

一見グロテスクな印象を与えてしまう彼らの作品が炎上を引き起こし、事態は極右政党や右翼に近いカトリック団体からも攻撃を受けるようになってしまったそうです。

 

「デルニエ・クリを失う前に」という緊急特集記事がROADSIDERS' weeklyで配信されたのが8月。

彼らをサポートするために、中野タコシェでブックフェアが始まるとのこと。

記事にはタコシェで取り扱うアートブック画像が多数掲載されていました。

 

これが、ノイズ感半端なくて良いのですよ。

 

確かに、ル・デルニエ・クリが生み出す作品に受け入れがたい感情を抱く方々もいらっしゃると思います。

だけど私からするとそれらには、どれを見ても、力を感じます。

ストレートでむきだしでかまっちゃいなくて、とにかくなんか凄い。

凄すぎて、うまく消化できないほど。

 

この時点ですぐにタコシェへ飛んで行かなかったのは、たぶんきっと、相手の熱量に圧倒され、こちらがついて行けてなかったんだと思います。

 

そして先日またROADSIDERS' weeklyで、「デルニエ・クリを失う前に2」が配信されました。

今回はアート倉持さんという、ル・デルニエ・クリと長く親交をお持ちの方が記事を書いていて、それがとてもよい文章でした。

私の中にグサグサと突き刺さり、おもいが確信に変わりました。

 

反対勢力を「こんな人たち」と名指しすることで複雑かつ多様な文化の存在を単純化し、それをメディアやSNSを介して広く認知させていくというやり口。そこにはシャルリー・エブド事件で露呈したテロ行為と「表現の自由」の決定的なまでの嚙み合わなさや、今ウクライナを舞台に行われている残虐行為やプロパガンダ合戦が重なって見えます。

 

私も過去に、いったい文化をなんだと思っているんだという一方的な権力によって、本当に大切なものを失ったことがあります。

異端を、冷静な熟考もなく、直感や感情だけで不健全なものと決めつけてしまったら、私たち、失ってはいけないものをどんどん失ってしまうような気がします。

 

いったい、表現とは何なんでしょう。

 

そのうち私たち、表現という言葉さえ失ってしまうかもしれません。

 

ル・デルニエ・クリをサポートするため、中野タコシェとは異なる出版物を吉祥寺111でも取り扱い始めたとのこと。

さっそく行ってみることにしたわけです。

ここでやっと、心と行動が繋がりました。

 

シルクスクリーン印刷による彼らのアートブックは、とても味わいがありました。

私はコリン・ラフというアーティストの作品集、置いてあった2種類両方購入しました。

片方だけでいいかなと一瞬思ったのですが、両方買っておいたほうがいいと思い直しました。

その中で特に私が気に入ってる1枚がこちらです。

 

SINTAKTIK 1 BY COLIN RAFF より

 

そしてそして、さらに今更ですが、、、こんなものも買ってしまいました!

 

TOM OF FINLAND organic VODKA

 

お店のかたに「これ、売り物ですか?」と尋ねると、「お売りすることもできますよ」とおっしゃったので、こちらもゲット。

中身を飲み干したら、フラワーベースとして真っ赤な薔薇などを活けたいと思います。

 

吉祥寺111は何か気に入ったので、また行ってみようと思います。

そして中野タコシェへも行ってみようかなあと思ってます。

ル・デルニエ・クリのサイトをみたら、ポスターとか気になる作品がいくつかあったんだけど、タコシェで扱ってるだろうか。

いやいっそ、マルセイユまで買いに行きたいですけど。

 

吉祥寺111でル・デルニエ・クリという「視るノイズ」を浴びたあとは、VILLAGE/VANGUARD DINERにてバーガー!

バーガー、好きなのですよ~~~。

 

 

食後はアイスコーヒーを飲みながら、中途半端に読み散らかした山田宏一先生の愛の結晶「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」を読みました。

ゴダールが亡くなったから、というわけではないのですが、出かけにこの本が目にはいりバッグに入れたのでした。

 

この日はここでアフター5(←もしかして死語?)活動を終わりにするつもりだったのですが、自宅最寄り駅に到着しても何だかフラフラしたりず、喫茶店に立ち寄って、「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」の続きを読みました。

この喫茶店はお客さんなんてほとんど来ないのに、何故か夜遅くまで営業してるのです。

 

閉店時間だというので渋々帰宅後は、この翌日から数日間のあいだ東京を離れることになっていたので、嫌いなパッキング。

Lou Reed/METAL MACHINE MUSICを聴きながら取り組んだら、終始心が乱され、まったく集中できませんでした。

まー、パッキング作業にむかないのなんの。

しかも完全に目が冴えてしまいました。

 

仕方なく、また「ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代」。

学生時代、ゴダール映画を始めて観たときの衝撃は大きかった。

ここ何年もその衝撃をすっかり忘れて生きてきたことを反省。

そしていつの間にか寝落ち。

充実のアフター5、自分の時間満喫。

どうやって限りある時間を過ごすかも、ひとつの表現活動であるように感じます。

 

 

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