こちら、ずいぶん長いこと本棚の中で息を潜めていた本。


2018年出版のこの本、「読むこと」と「書くこと」をめぐるエッセイそして掌編小説からなる散文集で、私にとっては生まれて初めての江國作品でした。
装画が私の大好きな宇野亜喜良さんで、この絵が欲しいがために購入し、以来手に取り見つめはするものの何故か「読む」というところまで辿り着けずにいた1冊でした。
この本に限らず、どうしてそうなるのか自分でもよく分からないのですが、とても欲しくて手に入れたのに、なかなか読む気になれないということが案外頻繁にあります。
でもそれは「すぐに読む」という気になれないだけで、不思議なことに欲しいと思った本というのは、どんなに長い放置期間があったとしても、必ずといっていいほど来るんですよ、これ読んでみようという気持ちになるときが。
だから余談ですが、そう簡単に手放せないのです、本は。
これもういいかなと思って手放しても、場合によってはその10年後とか、いきなり読みたくなるときがきて、しかしもう一度買い直そうとしても既に絶版。
仕方なく古本(しかも定価より高い)で探さなくちゃとか、いやホントに、本はあっという間に数年で絶版になってしまいますから、出会ったときに迷わず買い、そして一度手に入れた本は、そう簡単に手放さないと肝に銘じております。
おかげで本の収納には常に頭を悩まさせられてますけど、それでも、たまに本棚の整理とかすると買ったことすら忘れていた本が奥から出てきたりして、大人の引きこもり一人遊び楽しいです。
で、余談が長くなりましたが本書、読み出してすぐ思いました。
江國香織さんってこういう文章書く方だったのかと、今更ながらの驚き。
とてもよいです。
江國さんは本書収録の『最近読んだ本』というエッセイの中で庄野潤三さん著『ワシントンのうた』について、「言葉の一つ一つ、文章の一つ一つがすばらしい本だった」と書いているんだけど、私は江國さんのこの本も、そんな本だと思いました。
たとえば飲食店のトイレの張り紙に綴られた日本語の美しさだとか、電信柱によりかかっている黄色いモノとか、食器棚の奥の使われていない食器だとか、もしかしたら一般的にはどうでもいいこと、見落としてしまいそうなことを、江國さんは全身で拾い上げ、「書く」ということで時を止め、とどめおけないものをとどめようとして、そして見事にとどめてる。
まるでとても大切なものを箱の中に収めていくように。
書くことは、一人だけでする冒険だと思う。
これは江國さんが「書く」ということについて記した一言。
グッときました。
そしてもうひとつ、特にグッときたのが江國さんが書く言葉のチューリップ。
私が到着したのは午後遅めの時間で、わずかに斜めに傾きかけた、そのぶん余計にまぶしく思える日ざしが、庭全体に溢れていた。そして、なかでもとりわけ日あたりのいい一角に、チューリップがたくさん植えられていた。チューリップたちは狂ったように咲いていた。互いに茎が交差してしまうほどそっくり返り、花びらを全開にして、あられもない恰好で、野蛮に、静かに、金色の日ざしを浴びていた。
咲いた咲いた、チューリップの花が、ならんだならんだ、赤白黄色、
という、歌詞もメロディも単純な童謡のイメージとはかけ離れた、奔放な姿に私は見惚れた。それはとても大人びた可憐さだった。一本ずつが、土と空気と日ざしをそれぞれ一人で受けとめていた。雄姿、という言葉が私の頭には浮かんだ。いいなあ、チューリップ、生を謳歌しているなあ、と思った。
こんな言葉のチューリップ、読んだことありません。
すごくいいです。
次は江國さんの、何か小説を読んでみたいです。
P.S. この本の装画と装丁を担当された宇野亜喜良さんと名久井直子さんが雑誌『illustration』で対談されたとき、この本についてこんな風に話されていました。
名久井さん:『物語のなかとそと 江國香織散文集』では、宇野さんがちょっと腰を痛くされていたから、私が持っている昔の絵を使わせていただきました。すごく前に買った絵なんですよ。
宇野さん:実際に使ったかどうかは記憶にないんだけど、年賀状のために60年代に描いたものだったと思います。
名久井さん:提出したラフの中にはもうちょっと華やかな色のものもあったんですけど、江國香織さんがこの色の方をえらんでくださいました。描き下ろしは叶いませんでしたが、これはこれで格好いいので好きです。
はい、私も好きです。
特にカバーを外した姿が、とても好き。



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